Last Update:2016/11/28
 
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コラム 「現代中国放大鏡」

 第747回 考古学この一年 

(2016年11月28日)

   2015年後半以降の中国考古学で最も話題となったのは、同年11月に江西省文物考古研究所が発表した、南昌における2000年余り前の前漢海昏侯墳墓の発掘成果でしょう。海昏侯とは武帝の孫、劉賀が昭帝崩御ののち、霍光に推され即位したものの、わずか27日で廃位され、同地に封ぜられて4代168年間続いた侯国のことです。発掘は2011年から始まりましたが、同種のものとしてはほぼ完ぺきに近い出土状況で、周囲3.6㎢に及ぶ墓域は一般貴族や平民までも含み、出土した1万件を超える遺物とともに当時の墓葬形式の解明に画期的な手掛かりを与えました。遺物の中には200万枚を超える五铢銭や多くの金製品があり、さらには千を超える多数の竹簡木簡によって多くの古代の文献が再び日の目を見ることになりました。
   5000年前の世界にも注目が集まりました。伝説的存在だった夏王朝は、2000年に発表された「夏商周断代工程」によって河南省の二里頭遺跡、堰師城遺跡が該当すると確認され、その建国は紀元前2000年余りと推定されましたが、さらにそれ以前の文化の存在を探るべく、「中国古代文明探源工程」がスタート、その過程で2007年に浙江省杭州近郊で良渚文化が発見され、山西省南端では、人口1万人以上の大都市だったと推定される陶寺遺跡で巨大な天体観測の遺構が発見されました。いずれもが、紀元前2500年以前の大都市遺跡です。良渚では、2016年までの発掘調査で紀元前3000年ごろの多くの防水堤や貯水池、100㎢に及ぶ水利システムが発見されています。陶寺遺跡は伝説の帝王堯舜禹の堯の時代に相当するとも言われ、当時の黄河中流域の文明を探る重要な手掛かりとして注目されています。
   少し下った殷の時代に長江上流で独自の文化を発展させた三星堆遺跡では、北側の城壁とおぼしき遺構が発見され、遺跡全体の城壁がつながり、同遺跡が一つの大都市だったことが明らかになりました。これにより王陵の存在も予測され、これまでの祭祀坑の発掘で世界を驚嘆させた出土品を上回る逸品の発見に期待が膨らんでいます。
   2016年4月、精華簡(精華大学所蔵戦国竹簡)に関する整理報告第6輯が発表されました。新発見の文献は鄭国に関する<鄭夫人規孺子><鄭文公問太伯><子産>と、斉に関する<管仲>、秦・楚に関する<子儀>。このほかには、法家の代表的人物である商鞅(公孫鞅)が秦の孝公を助けて変法を行った都、橋陽の発見も報じられています。


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