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 第814回 一九全大会以後の動き総括−その1−

(2018年4月12日)

中国の権力構造で最重要の位置を占めるのは軍。銃口から生まれた共産党政権にとって軍は一党独裁の最大の保障ですが、その軍も幾つかの派閥に分れます。派閥の生成過程には、革命期の紅〜軍、人民解放戦争期の第〜野戦系、更に朝鮮戦争期の義勇軍系なども絡み、様々出入りはあるものの、初代国防相彭徳懐が一野系のリーダー、文革期の国防相林彪が四野系、鄧小平は二・三野系を束ね蒋介石主力軍を追い、揚子江渡河作戦を行った時の敵前総書記だったわけで、彭徳懐・林彪失脚後に鄧小平が実権を握った背景が見えてきます。
それ故、改革開放後に、党は胡耀邦に、国務院は趙紫陽に任せ、鄧小平は中央軍事委員会主席の座に就いた意味がよく分かりますし、江沢民を総書記にした後もしばらくその座に居座った理由も明白です。江沢民も、胡錦濤が2002年に総書記になった後、なお中央軍委主席の座を渡さず、隠然たる勢力を誇示しました。その間、人民日報一面では、胡錦濤に関する記事は必ず「人民日報」と言う題字の下で、その右上には常に江沢民の記事や解放軍報の記事が掲げられました。それ故、胡錦濤や温家宝が対日・対米で少しでも融和姿勢を示すと、必ず軍の艦船が突発的行動に出て足を引っ張り、引き戻しを図るというパフォーマンスが繰り返されましたし、その傾向は習近平政権になっても垣間見られました。
したがって、習近平が権力基盤を確固たるものにする最終目標は「いかにして軍権を掌握するか」になります。習近平が軍の大幅な改組・削減を進めたのは、もちろんアメリカに対抗するための近代化が大目標ですが、鄧小平が80年代に軍の大幅な削減と軍区再編を行って合法的に抵抗勢力の力を削いだのと同様な意図も隠されています。
2017年秋の19全大会直後、軍に激震が走りました。同年11月に軍の張陽総政治部主任が自殺したのです。同時に参謀部参謀長だった房峰輝上将も失脚しました。この二人への取り調べはまさに開催間近の19全大会における「習近平思想」の取り扱いに関し党の長老たちによる北戴河会議が開かれていた時期と重なり、また、この二人がすでに失脚した郭伯雄や徐才厚と密接に関わっており、軍を牛耳っていた江沢民派の大物であった事を考えると、8月から12月にかけてのこの動きが何を意味するかはもはや説明を要しないでしょう。
19全大会以後の政策面での動きと展望は次回の最終回に。

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