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 第二十回  形式主義の打破

昨年9月26日の15期六中全会で、<党の気風建設に関する中共中央の決定>が採択されました。その中の項目の1つが形式主義の打破です。
形式主義の極めつけとも言える笑えない例が有ります。河北省館陶県の県都では、役所が通りに面した家は3〜4階建てに統一するようお触れを出したため、お金の無い住民たちは3〜4階の見せ掛けの塀を作り、それにドアや窓をつけて対応したとのこと。まるで、木下藤吉郎の墨俣築城の話のようです。
581(“我不要”「私は要らない」の中国音にひっかけたもの)、570(“我清廉”「私は清廉」の中国音にひっかけたもの)で話題になった“廉政帳戸”「クリ−ン口座」。官吏が受け取らざるを得なかった灰色収入の受け皿に考案され、撫順、長沙などで実行されましたが、一部ではいつのまにか、汚職が露見しそうになった時の逃げ道になってしまいました。ここに預ければ追求はおしまい、というわけです。
役人の形式主義は様々な語彙に現れます。よく見られるのが、問題が起きてから指導者が“高度重視”し、“関注”「注目する」ことで見事解決された、という記事。「その前に解決しなかった責任はどうなるんだ!」という批判はごもっとも。
何かといえば“領導小組”「指導班」を作るのも、日常業務をおろそかにしているからだ、と45もの“領導小組”を解散させた山東省の日照市。“〜工程”「プロジェクト」の氾濫など安易な行政が一層形式主義を助長し、結局“工作方法貧乏症”「仕事のやり方に対するアイデアの欠乏」を生んで、行政サ−ビスを著しく低下させているのです。
曖昧な誤魔化しも形式主義の双子の兄弟。会計報告で、最後に<その他>の項目を設け、巨額の不明朗支出を処理してしまったり、行政チェックをしても、問題部署や個人名を公表せず、“有的”「有る者」、とか“有些”「一部の」でうやむやにしてしまう馴れ合いは容易に汚職の温床になります。
“打招呼視察”「予告査察」の弊害を指摘する声は以前からで、視察官が来る時だけ部屋の壁はスロ−ガンや公約で埋め尽くされ、帰ればまた元の木阿弥、という話は珍しい事ではありません、“不打招呼視察”が求められている所以でしょう。

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