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第215回 胡耀邦の再評価
(2006年1月30日執筆)
「胡耀邦同志は、経験豊かにして忠実な共産主義の戦士であり、偉大な無産階級革命家・政治家であり、わが軍の傑出した政治工作者であり、長期に渡って党の重要な指導的職務を担当した卓越した指導者である」。お決まりの表現に注目が集ったのは、2005年11月18日のこと。この日、北京の人民大会堂で、中国共産党中央委員会によって<胡耀邦同志生誕90周年記念座談会>が開催され、曹慶紅国家副主席が記念スピーチを行いました。
「我々は党の事業に忠実で、全力を振り絞る彼の献身的精神に学び、改革に励み、革新を恐れない彼の思想的境地に学び、大衆と親しく接し、大衆の苦しみに心を寄せる彼の優れた仕事振りに学び、大局を見つめ、明るく屈託の無い高邁な人柄に学ばなければならない」。
1987年、民主化を求める学生を扇動したとして総書記を解任され、2年後の89年に病死した胡耀邦氏の名誉回復ともいえるこの座談会は、各方面の様々な憶測を生んでいます。温家宝首相は出席したものの、胡錦濤主席はAPEC出席中で欠席、しかも当初予定した規模が大幅に縮小されたとも。また、中央党史出版社による<胡耀邦伝>は本来3巻だったのが1915年〜1976年を記述した第1巻だけが出版を許可され、77年以降を描いた第2巻以降は出版が許可されませんでした。その背景に何であるのでしょうか。
胡耀邦は1915年生まれ。1926年、わずか11歳で共産党の活動に参加、長征にも加わり、49年の建国以後は共青団第一書記、陝西省第一書記などを歴任、文革による迫害の後、77年に党組織部長になり、81年6月には党主席に就任、国務院総理の趙紫陽ともども、鄧小平体制の中核的存在になりました。文革終了後、多くの人の冤罪を雪ぎ、また、中曽根首相と“相互の信頼”を柱に据えた4原則を取り交わし、<中日友好21世紀委員会>を設立した胡耀邦氏の業績は、その率直な人柄も合わせ、今も語り継がれています。2003年に発足した<新中日友好21世紀委員会>の座長は彼の秘書、鄭必堅氏。やはり共青団書記だった胡錦濤主席が胡耀邦人脈に連なる人物であることと決して無関係ではありません。
経済は発展しているものの、腐敗の横行と民衆の暴動に苦しみ、農村の改革が急務といわれる今日の政治状況、また、打開の糸口さえつかめない日中関係。まさに“胡耀邦に学ぶ”ことが必要とされる今日である、と言えましょう。