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 第468回開発区の話

(2011年5月23日)

2010年は経済特別区成立30周年で、当時の背景やエピソード、また、厦門・汕頭・深圳・珠海それぞれに関する回顧・総括の記事も目立ちました。台湾・南方華僑・香港・澳門をターゲットに資本・技術システムなどの導入を図った経済特別区は、当初は外部と厳しく隔てられていましたが、その後、1984年から沿海ベルトの開放が始まり、88年までに12の都市に14の国家レベルの経済開発区が設置されました。これらの開発区は国内にも開放され、海外の資本を受け入れ、様々な産業の移転を促進しながらその経験と成果を広く国内に向けて伝播・普及させる役目を果たしました。
1992年、鄧小平の南巡講話で積極的な改革開放が再び息を吹き返すと、経済開発区はその役割を高く評価され、その数も32に達しました。大きな転機を迎えたのは90年代末から。西部大開発の発動に伴ない、それまでの沿海から中西部に開発区の設置を拡大することとし、1999年、国務院は中西部地区の一級行政区中心都市の省レベル開発区が国家レベル開発区への昇格を申請することを許可しました。また、2001年のWTO加盟を経て、その機能も単純な工業パークから多様な機能を備えた都市新区へと変化し始め、2002年にはその数も53に増えました。 
経済開発区設置の動きはとどまるところを知らず、とくにここ2年、続々と誕生し、その数も倍増しています。2010年はその中で、沿海部の残された発展途上地域での経済開発区に関する動きが目に付きました。例えば2010年には、2009年の<遼寧沿海経済帯発展プラン>を承けて、渤海湾東部、遼東半島西側に位置する長興島が国家レベル経済開発区に承認され、また、2009年末に黄河デルタ開発が国家戦略に格上げされたのを承けて、山東半島北岸に位置する濰坊浜海経済技術開発区が承認され、環渤海湾経済圏と山東半島都市群をつなぐ地点に位置する県クラスの都市鄒平も国家レベル経済開発区として正式に成立が宣言されました。
もう一つ、20年前の上海・浦東新区、10年前の天津・浜海新区に続き、2010年、内陸部では初めて重慶に三つ目の国家クラス新区、両江新区が誕生したことは、改革開放の発展が内陸部にしっかり根付いた事を如実に示す事柄と言えましょう。

三瀦先生のコラム