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第481回2010年の人民日報日本関係記事−その1−
(2011年8月15日)
2010年の日中関係は、前半と後半で対照的なコントラストを見せました。
上海万博には日本人も多くの関心を寄せました。人民日報はまず、愛知万博に皆勤し、上海万博でも184枚の入場券を購入した山田外美代さんをシンボリックな存在として紹介、愛知からの祝福や大阪の上海万博展示にかける意気込みを詳細に報じ、また、“紫蚕島”と称された日本パビリオンに表現されている日本文化と、そこに含まれる中国文化の融合も取り上げました。日本側のイメージ大使となったコシノジュンコ、谷村新司、福原愛の3氏についても詳しく報道されました。
反面、日本側では随分話題になった、孫文の革命を資金面で支えた梅屋庄吉についての記事は控えめな報道に終わっています。後述の尖閣列島漁船衝突事件の影響で、日本青年上海万博訪中団実施が遅れたことは参加予定だった日本人青年の心に深い傷を残し、ギクシャクした両国の関係は万博とは無縁、とはいきませんでした。
2010年前半、2月に北京で第5回日中友好21世紀委員会を開催、両国関係が新しい発展のチャンスを迎えた事が力説され、環境協力がクローズアップされると同時に、東アジア一体化へ向けた積極的な協力も示唆されました。この時点では、中国側は民主党政権にかなりの期待を寄せており、4月にワシントンで会見した胡錦濤主席は「当面の日中関係はよい方向へと発展している」と表明しています。この流れの中で日中韓三国の協力交流が積極的に推進され、5月29日には韓国の済州島で日中韓三国首脳の第三回会談が行われ、翌日、温家宝首相が日本を訪問しました。
日本滞在中、温家宝首相は天皇陛下と会見し、経団連との昼食会では、日中経済協力の重要性と密接不可分な関係を力説し、1000名の日本の若者を万博に招待すること、四川大地震の際の日本救助隊に四川の復興状況を見てもらうこと、今後5年間、日本のメディア関係者など100名を招待するなどの提案も行いました。更にこれに続いて温家宝首相がガス田問題について協議に入る事を示唆して(人民日報には報道されず)日本側を驚かせましたが、こういった対日友好外交が中国内部の強硬派や軍に不満を抱かせたことがその後の事件の引き金になったとも推測されています。この続きは次回に。