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第891回 東西文化交流の話題から
(2019年10月24日)
一帯一路に関する記事は日本の新聞でもよく見かけますが、古代ステップロードにしろ、シルククロードにしろ、交易の道が一方で東西文化交流の懸け橋でもあったことは周知のとおりです。経済と文化交流は不即不離であり、昨今の日本食の世界的普及はまさに文化と経済が一体となったものと言えましょう。習近平が提唱する一帯一路の推進につれ、最近の人民日報にはこうした意味合いの東西文化交流関連記事をよく見かけます。昨年、その中に、ご存知プーアル茶に絡めた交流記事を2本見つけましたので、簡単にご紹介しましょう。一つは2018年7月7日付の「滇藏茶馬古道 歴史の彼方から再び表舞台へ」いう記事で、プーアール茶の故郷、雲南省の普洱から麗江、シャングリラを経て、チベットのラサに到る茶馬古道を紹介したもの。東西の交易路というより、唐宋時代に興り、明清時代に栄えた、茶葉や黒砂糖といった様々な特産品と、チベットの牛や羊の皮や薬材とを取引する中国西南部の通商路ですが、商業貿易の往来と文化伝達を担う民間の重要な道になっていて、抗日戦争時期にはこの地区における重要な国際商業ルートにもなりました。このプーアール茶の故郷が、今、東西経済・文化交流の新しいスポットになっている、というのが、5月21日付の「茶作りの名手がコーヒー作りを学ぶ」という記事。コーヒーで有名なネスレ社は八〇年代末期、中国の対外開放に伴い積極的に中国に進出、思茅地区と呼ばれていた普洱市が水質・土壌・海抜・気候のいずれにおいても十分にコーヒー栽培に適していることを突き止め、一九八八年から思茅とコーヒー協力事業を始めました。
ネスレ社は、初めてコーヒーを植えた時から三十年以上にわたり七名の農業専門家を派遣してコーヒー栽培や注文販売などを指導、中国政府の関係部門も、病害虫への対処、電力不足への対応、道路など交通インフラの整備に積極的に協力、品質の向上に伴い思茅コーヒーの供給量は年々増加し、一九九七年には、ネスレ社の広東省東莞のコーヒー加工工場で扱うコーヒーすべてが雲南産のものになりました。二〇一七年までに、普洱市のコーヒー作付面積は七十八.九万ムーに達し、コーヒー豆の総産出量は五.八六万トン、その八〇パーセントが海外に輸出されています。一方、中国自体もネスレ社にとって全世界で二番目に大きな市場になり、コーヒーの消費は過去数年間二桁の伸びを見せています。