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第九十一回 "奉献"談義
サ−ズの実態が暴露され、大騒ぎになった4月中旬、人民日報に、任中平署名の<奉献を論ず>と題する評論が掲載されました(15日)。その中で任中平は、焦裕禄、孔繁森、鄭培民といった模範的指導幹部の犠牲的行為を"奉献"の例として挙げ、 国家と集団と個人の利益は根本的には一致する、との前提に立ち、"奉献"は個人の利益と集団の利益の有機的統一で、しかも個性の重要な内容、人としての基本的品性であり、全人格的発展の内在的要求である、と定義づけました。そして、市場経済は利 益追求を重んじるが、その結果は社会全体に貢献するものであり、"奉献"と相互に促進しあって対立せず、個人の合法的権益と社会的責任は統一しうる、と主張しました。
この任中平論文がきっかけとなり、中国社会のあり方について、"奉献"に絡めて様々な議論が展開されました。5/26付けでは、「個人の利益と集団の利益をどう見るか?」について、清華大学"奉献"討論会の「"奉献"は個人の利益の犠牲であり、この犠牲は小我を捨てて大我を全うする行為だ」「"貢献"は見返りを求めるが、"奉献"は 見返りを求めない」といった意見が紹介されました。5/30付けでは中国人民大学の劉海竜氏が<社会交換の角度から"奉献"を見る>と題する評論を発表、"奉献"は自 己の責務外の犠牲であると同時に一定の価値や貢献を伴う、と定義し、その原則は等価交換であり、社会の承認、尊敬といった見返り、励ましが重要な要素になる、と主 張しました。
自分の職責を全うする(例えば医師)ことが"奉献"なのか、については議論が分かれ、英雄的行為のみが"奉献"ではなく、日常業務に精励することも立派な"奉献"だ、 との考えがある一方で、「議論している暇があったら、給料にみあう仕事をしろ!"奉献"はそれから先のことだ」というもっともな意見も掲載されました。
いずれにせよ、サ−ズ騒ぎに乗じた様々なインチキ商売、また、広東省のス−パ−スプレッダ−のように、130人も感染させ、医師団の必死の治療で命をとりとめなが ら、血清の提供に1万元以上を、テレビの取材にも5万元を要求、そしてWHOの聞き取りもドタキャン、といった公徳心の低さは論外。社会全体と個の関係をどう定義づけて社会モラルを形成するのか、図らずもサ−ズ問題が正面から問いかけたと言えましょう。