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Last Update:2014/05/27
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コラム『チャイナウォール』−中国人の法意識−

 第260回 衆愚政治

(2014年05月27日)

  中国に関してということではなく、政治学原論的なことについて、少し叙述したい。
  ベトナムで中国系企業(中国系企業と誤認された日本企業なども)を暴徒化した群衆が襲撃し、中国人に死傷者がでるという事件が起きた。中国が、ベトナムと領有権で争いのある南シナ海の西沙(パラセル)諸島付近で石油掘削を始めたことに対する抗議行動が過激化した事件である。中国やその他東南アジア諸国でもいろいろな原因で外資企業に対する同様の事件が起こっている。企業・工場における労働者による過激な争議行為もよく見られる。
  なぜ、群衆はこのような事件を起こすのだろうか。これには、群衆の性格がありそうだ。ここで群衆(中国語では、「群体」という。)と叙述したのは、大衆(民衆)と区別するためである。大衆は、単にテレビを観て、新聞を読むだけで、問題に対して関心は持っていてもある意味で傍観している人々である。これに対して、群衆は、ある問題に対して、特定の意識を共有し、この意識を実現しようと行動する人々である。このとき、群衆はしばしば客観的でなくなり、衝動的な感情、偏狭的感情に支配され、思考および行動が単純化し、専横することがある。
  さて、最近、ポピュリズム(populism)という言葉を目にすることが多い。政治家が、大衆に迎合した政治を行うというがそうだろうか。
  最近の中国や日本のポピュリズム政治は、政治家主導で世論を形成しているのではないか。世論の形成は、大衆に圧力を加え、政治的な敵対勢力(スケープ・ゴート)を他国に作り出すことで危機を煽るという手法によってなされているのではないかと思われる。その結果、大衆の深層心理が形成され、客観的・合理的判断をすることができなくなり、非合理的な行動をするようになる。権力者から見た場合、このような大衆は愚民に他ならない。
  中国では、マスメディアを基本的に国が支配している。メディアを動員し、誘導することは容易である。そこで、一方的、かつ一面的な報道がなされている。大衆には、客観的に判断をしようとする場合に必要な多様な選択基準が与えられない。政府、または権力者は、「大衆」の気持ちをよく理解し、大衆の意向になかった政治をしていると主張する。こうして、国や権力者(これが嵩じると独裁者になる。)への信頼感を大衆に持たせようとする。
  では、こうして権力を手に入れた権力者・政治家は、どのような行動をとるのか。大衆に信頼させることでカリスマ性も手にする。そうすると自らが作り上げてきた世論が、そもそも大衆から生じたのであると勘違いするようになる。カリスマ性を手にしたという幻想を抱き、大衆のための政治を行っているのであると幻想を抱くようになる。
  今、このような幻想を抱いている権力者・政治家が中国、日本など(周辺国にも)に多くなっているのではないか。大衆への圧力、スケープ・ゴート作りでもなんとなく思い当たるふしがなくはないだろうか。これは、ポピュリズム/大衆迎合ではなく、衆愚政治である。そもそもポピュリズムには、本来的な民主的志向のものと、独裁化的志向のパラドックスがあることを認識しておく必要がある。

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