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Last Update:2015/04/22
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コラム『チャイナウォール』−中国人の法意識−

 第282回 威権政府

Authoritarian Government

(2015年04月22日)

  マックス・ウェーバーは、権力による支配を(1)合法的支配と(2)正当的支配の2つに分類している。合法的支配とは、服従者は「法に対して」だけ服従するにすぎないもので、これは「法の支配」ということになる。一方、正当的支配は、@合理性、A伝統性、Bカリスマ性による支配がなされることをいう。カリスマ的支配とは、ウェーバーが作った言葉である。カリスマは、指導者に対する英雄視、信頼感から生まれるという。
  さて、中国ではどのような支配がなされてきたのか。
  毛沢東、ケ小平には、カリスマ性が醸成されていたようだ。革命を遂行するには、カリスマ性が必要であったのかも知れず、毛やケも必要悪からカリスマであることを意識していた。しかし、今日では、政治機構や組織がしっかりと形成され、カリスマ性は醗酵し得なくなってきていると思う。ところが、習近平は、カリスマ性を必要としなくなったはずの中国で、カリスマになりたがっている。本来的にはカリスマ性は醗酵しなくなった環境下でカリスマ性を得ようとする手段として、反腐敗キャンペーン、文化国家志向、一帯一路戦略などを打ち出している。
  孔子は、「良き政府は、支配者が支配者として、大臣が大臣として、父親が父親として、息子が息子として存在しているところに成立する」という。これは、中国の為政者にとっては、憲法が国家権力を制限して人権を保障する「法の支配」よりも、威権国家を形成しようとする少数支配者にとって都合の良い考え方となることがある。習近平が、カリスマであろうとするのは、封建時代の父権のような権威主義を手に入れようとすることであり、子に尊敬されるということにはならない。
   2014年12月26日の毛沢東生誕121周年に環球時報は、「時間越久、毛沢東的偉大越為人識」(時が経つにつれ、毛沢東の偉大さはますます人々に認識される)という社説を掲載した。毛沢東は、強固な指導力を持って集団の意志を担って新中国を創造し、中国共産党を創造したと評価している。このようなことを喧伝するのも、威権政府を作ろうとするからなのだろうか。
  さらに、外資に対する挑戦も外資にカリスマであることを意識させるためであろうか。または、国民に向けて外資に対しても権力を発揮し得ると見せるためか。
  フランスのフリードリッヒ2世は、『反マキャベリ論』において「君主は国家の第一の召使」であると述べている。このような指導者たることが本来は目指されるべきであろう。「王者は、徳を輝かして兵を観さず」というが、なかなかそうはならない。
  中国憲法の理念は、国民主権主義であるはずだ。ところが、セクハラ撲滅を訴える女性人権活動家が「騒動挑発」容疑で拘束されている。国民は、共産党政府に対して従順であり、恭順しなければならないということのようだ。国家主席、党主席、軍事委員会主席をトップとする共産党権力機構(すなわち少数支配)と国民とのギャップが大きくなっている。


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