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LastupDate:2005/2/9
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コラム『チャイナウォール』−中国人の法意識−

 第35回 趙紫陽の死去と民主の壁

―――中国人の民主の意識

(2005年2月9日執筆)


   趙紫陽・中国共産党元総書記が2005年1月17日に死去した。1989年6月4日の天安門事件の際に民主化運動に理解を示したとして失脚し、総書記を解任された後、15年間の軟禁生活を余儀なくされた改革開放のリーダーの死去である。
   趙紫陽は、広東・四川両省の党委書記を経て1980年に首相に就任した。最高実力者のケ小平の強い後押しをうけて農村における経営請負制など新しい改革・開放政策を進めた。その後、1987年に趙紫陽とともに中国の改革開放を担っていた胡耀邦の辞任を受けて、党総書記に就任した。
   1989年4月に死去した胡耀邦の追悼集会をきっかけに、天安門前で起きた大規模な反腐敗、民主化を要求する学生運動が発生した。このとき、趙紫陽は、学生の運動を愛国的だと評価し、ハンストをする学生を見舞うなどした。しかし、ケ小平ら共産党指導部の判断は違った。天安門広場における学生を中心としたスト・デモ行進は「動乱」であると認定し、6月4日未明に解放軍を投入し、運動を制圧した。このため、趙紫陽は「動乱を支持し、党分裂の誤りを犯した」と評された。趙紫陽の行為は、共産党の基盤を危うくするものであるとみなされ、失脚することになった。
   それでも趙紫陽の葬儀は、1月29日に北京市西郊の八宝山革命公墓礼堂で行われ、関係者や市民ら二千数百人が参列したという。農民や労働者、学生にとっては民主化を推進するヒーローである。
   中国における民主に対する意識は、どうであるのか。今後、民主化はどのようなかたちで進展するのだろうか。    こんな冗談がある。共産党幹部が、ある農家を訪ねたところ、居間にケ小平の写真が飾ってあった。共産党幹部が、「ケ小平は亡くなりましたよ」というと、農民は、「では、今の指導者は誰ですか?」と問う。そこで、幹部は、「誰か一人が指導者ということではなく、集団指導体制になっています」と答えると、農民は「それは困る。それでは、一体誰の写真を飾ったらいいか分からないじゃないか」といったという。
   農民や一般市民は、常にカリスマ性のある指導者の下で暮らしてきた。自らの意志が働くことは少ないと見られている。中国人にとって、政治とはその時々の道徳規範である。現在あるものが正しいという根本的仮定をもって暮らしてきた。これが慣習である。一般市民、とりわけ内陸部の農民にあっては、民主とは何かを意識することはないのかも知れない。
   こんな話もある。
   「ある男が幅六尺、高さが四尺の塀を造った。この風変わりな遣り方の訳を聞いたところ、答えていうに、塀が吹き飛ばされ、転覆したときに前よりも高くなるのがこの塀の目的である、と。中国政府は、一つの立方体のようなものである。決して転覆しないわけにはゆかぬが、転覆しても内部の本質も外観も従前と変わりなく、ただ他の面の上に立つだけである。中国人はこの仮定を繰り返し経験した」
(A.H.Smith The Chinese Charactaristics)
   中国人の保守性、または辛抱強さや粘り強さという性格が、上の2つの話から物語られているようにも感じられる。
   民主化には、経済発展が必要である。1人当たりのGNPが2,000ドルを超えると、民主化が進み、権威主義体制は弱体化するという仮説がある。中国中西部地区、農村部の経済事情を考えたとき、中国で民主化意識が生まれ、根付くのはまだ先ではないかとも思う。中国特有の民主化の進め方、あり方というのもあるのかも知れない。
 



次号の更新は2月23日(水)ころを予定しています。

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