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(2006年10月11日)
最近、重慶の公安機関が経済発展サービスに関する10項目の措置を発布した。この措置には、128名の著名な企業家の生命と財産を専門的に保護するために「企業家連絡弁公室」を設置するということが含まれていた。 この件に関して、人民日報のウェブサイト(人民網)は、法治時評欄で黄豁の署名記事「警察為民服務 咋也“嫌貧愛富”?」(警察は民のために奉仕するものなのに、“貧乏人を嫌い、富裕者を愛するのか”?)を掲載している(http://www.iolaw.org.cn/shownews.asp?id=14831)。 黄豁は、「企業家は確かに社会の富を創造しており、労働者に就業機会を提供し、法に基づく納税をしており、この点で社会から尊重されることは妥当であろうが、公安が特別の保護をすることはどうだろうか。」という。 重慶警察は、特別な保護措置を提供する理由として、企業家に対する犯罪が著しく増えているからだという。しかし、3200万人の人口を抱える重慶には、3万人の警察官しかおらず、これは全国平均が1万人に対して12人の警察官というのに比べて、遥かに及ばない数字である。それでもなお、富裕な企業家を特別に保護する要員を割くというのか。 光明日報のウェブサイト(光明網)では、「国的改革与発展必須有人民性」という文章が2006年10月4日に掲載された(http://www.ccelaws.com/newsDtl.asp?705)。最近、人々は不安を抱いている。この不安というのは、中国の発展過程で、西側先進資本主義国が市場経済の初期段階に出現した両極分化が生じはしないかということである。すなわち、発展するグループと「人民」の主たる構成者である労働者および農民が、相当程度まで「弱体化したコロニー」になっているのではないか。労働者や農民の住居、就業、教育、医療などの権利が、転換期であるということを口実に等閑にされ、時には粗暴に剥奪されていはしないかと警告されている。もしかして「人民」の権利は、社会の富を創造しており、労働者に就業機会を提供し、法に基づく納税をしているものを「公民」と定義するとすれば、「人民」の権利と「公民」の権利は、同様に扱われないということがあるのであろうか。 以前のコラム(第50回「富の偏在、拡大する貧富の格差」2005年9月30日)で、エイミー・チュア(Amy Chua)『富の独裁者(World on Fire)―驕る経済の覇者:飢える民族の反乱』(久保恵美子訳、光文社、2003年)を紹介したことがある。市場経済と民主主義を提唱することは、ときには富の独裁者と極端な貧困層を作り出し、これに対して民族紛争が生じることがある。市場経済化を急激に推進する中国において、同様のことが発生しているのではないかとの懸念を述べたが、中国の新聞報道などで、この点の指摘が多くなってきているような気がする。 以下の写真は、北京市梁家園社区に掲示されていた通知である。住居侵入、窃盗事件が発生したので、戸締りに注意し、多くの現金を家に置いておかないように、事件が発生したらすぐに通報をして欲しいというものである。今、このような事件が頻発している。「和諧社会」として追求される社会の姿はどのようなものなのか。まだ、明確には見えてこない。
次回の更新は10月25日(水)の予定です。
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