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(2009年2月25日)
広東省中山市である労働紛争裁判の判決が言い渡された。この事件の裁判は、次のようなものであった(法制日報 2009年1月5日)。 (1)事件の概要 2007年12月28日、広東省中山市の靴製造会社(Y)は、給与のベースアップをする従業員の名簿を公表した。ところが、この名簿に記載のなかった女子従業員(X)が、これを不満として、同じくベースアップの対象になっていない従業員20名と正午に会社の正門前に集まり、社長にベースアップの件に関して説明するように要求をした。 午後の始業時間に際して、会社の責任者は、Xほか従業員に職場に戻り勤務するように言い、ベースアップの件については後日協議すると述べたが、Xらはこれに承知せず、出勤を拒否し、要求を主張し続けた。 翌日、会社は懲戒処分の方針をXらに示したところ、Xらは「罷工」(ストライキ)により異議を訴えた。会社の正常な生産秩序が乱れ、労働規律に反し、会社に重大な経済損失をもたらしたと判断した会社は、Xらを解雇した。 2008年1月にXは、労働仲裁を申し立て、経済補償金その他約2万元の支払いを会社に要求した。労働仲裁委員会は、Xの申立を棄却した。 そこで、Xは、広東省中山市第一人民法院に提訴した。 (2)裁判結果 法院は、@Xの退職前12ヶ月の月給が平均1300元であり、中山市の最低賃金よりも高いこと、AXらの会社に対する異議は従業員代表大会またはその他の方式で会社と協議することができるにもかかわらずこれをせず、集団で「罷工」をすることで不満を表明した。このことは、B会社の正常な生産秩序に影響を与えるものであり、従って、C会社がXらを解雇したことは適法であると判断して、Xの訴えを棄却した。 Xは、中山市中級人民法院に上訴したが、同法院も上訴を棄却し、一審判決を支持した。 この裁判にかかわって考えることがある。 第一に、労働紛争の増加とその処理方法の難しさである。 2008年末までに全国で3515の労働紛争仲裁委員会が設立されており、2008年1〜9月に全国の労働紛争仲裁委員会が受理した事件は、52万件にのぼるという(中国労働仲裁網)。1〜9月の件数をもって単純に1年間の件数を予測すれば、70万件になる。労働仲裁にまでは申し立てられてないような事件は、さらに多数あることであろう。企業も労働者も紛争処理のあり方について、社内のメカニズムを考えておく必要があるだろう。 第二に、「罷工」という言葉の概念である。 2008年11月に重慶市で発生したタクシー運転手のストライキ(本コラム第126回、2008年11月26日「タクシー運転手の不満」参照)を新華社は、速報で「罷工」と伝えた(朝日新聞 2008年12月18日)。しかし、「罷工」は、社会主義国にあっては経営者と労働者という階級が存在しないところ、ありえる争議ではなく、従って中国においてはこの言葉の使用は社会不安を助長することになるということで、中国政府によって2004年に使用禁止されていた言葉である(本コラム第130回、2009年1月28日「還権於民(大衆に権力を返す)」参照)。そこで、新華社は、速報の翌日からは「罷運」(運送をやめる)という言葉に改めた。 ところが、再び法制日報で「罷工」という言葉が使われた。ただ、この事件における「罷工」は、非合法な行為に対してこう言っているようである。単に「ストライキ」と訳すよりは「正当性のない抜打的ストライキ」というところであろうか。やはり、今日の中国では「罷工」という言葉には拒否感があると言えそうである。
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